ゲストは1999年の夏の高校野球甲子園大会で準優勝を飾り、多くの人に夢と感動を与えてくれた、岡山理科大学附属高校野球部監督の早川宣広(よしひろ)さん。早川さんは昭和42年生まれの32歳(放送当時)。広島県福山市のご出身で、盈進高校、駒澤大学を経ておよそ2年間、整体術や指導理論を学んだ後、教諭として岡山理科大学付属高校に赴任。その後、コーチを経て監督就任。わずか26歳でチームを春の選抜高校野球大会出場に導いた。実は過去、お父さんも盈進高校で野球部の監督として甲子園出場を果たしていて、親子2代に渡る甲子園出場監督は史上初めてと話題に。就任以来6年の間に春2回、そして今年の夏と合計3度の甲子園出場を果たし、県内ではすっかり名監督の仲間入りといった早川さんのお話、このあとじっくりとどうぞ。
智弁和歌山戦の緊迫した場面で何を言った?
(牛嶋)それでは今週のゲストをご紹介しましょう。岡山理大付属高校野球部監督の早川宣広さんです。よろしくお願いします。
(早川)よろしくお願いします。
(牛嶋)もう2ヵ月前になりますか。高校野球の準優勝、見事に飾りまして、まずはおめでとうございました。
(早川)ありがとうございます。
(牛嶋)振り返って、いかがですか?
(早川)そうですね、すっごい昔のような感じがするんですけども。はい。
(牛嶋)昔といっても、やっぱり準優勝ですからね。記憶は鮮明に残っているかと思うんですが、やはりすべての人が印象的に残っているのが智弁和歌山戦の逆転サヨナラだと思うんですが、あの時っていうのは監督ご自身、どういう気持ちで見つめてました?
(早川)そうですね。試合後もよく聞かれたんですけども、なんかやってくれそうな、こう、雰囲気というか、なんか押されてるようなものがあったんで。ですから途中で9回にエラーがあった時点でこれ絶対いけるという確信めいたものもあったりしたんで、その試合、馬場はすごい調子悪かったんですけど、怪我もしましたし。でも、本来力がある子だったんで絶対なんとかしてくれる、逆に森田よりも馬場に回ってくれた方がやってくれるんじゃないか?っていう、なんか普通では考えられないんですけど、なんかそういう風なのも思いとして湧いてきたりしてました。
(牛嶋)ほんとにあの素敵な感動的なシーンを見せてくれたなと思って、ほんとにありがたく思っているんですけども。やはり馬場君自身もあの場で打ったその力ってのもすごいと思うんですけども、やはりその中には監督のなんか一言があったんじゃないかなと思うんですが。そのあたりはどうだったんでしょうか?
(早川)そうですね。馬場に関しては、もうああいう場面になってどうのこうの言っても始まらないんで、もう彼に任すしかないですし、前日のバッティング練習とかでもすごい調子良かったんで、だからもう「好きにやってこい」と、「もうお前に任せたし、お前しかいない」という風な形で送り出しました。
「礼儀正しくあれ」「謙虚であれ」「柔和であれ」
(牛嶋)まぁ、選手と言いましても、まだ10代の、ま、言ってみれば子供ですよね。そういう高校生を相手にですね、どんな風に接しているのか僕自身非常に興味があるんですが。
(早川)はい。そうですね、僕、指導方針っていうのは、まぁ、野球部の部訓という形で「礼儀正しくあれ」「謙虚であれ」で、あと「柔和であれ」という、「柔和」とは朗らかであれっていうなのを標語にしてるんですけども。なかなか他の野球部では「謙虚であれ」という風なのは部訓とかにないんですけども、とにかく勝ってもおごらずに、また負けても卑屈にならずにやっていこうと。で、その3つを高校時代に掴んでくれたら必ず社会に出て、みんなにかわいがってもらえるからということで、野球だけっていうのではなくて、将来を見据えてその3つが一番高校時代に覚えることで一番大切だろうということで、それにしてるんですけども。まぁそれが私生活とか普段のミーティングはそういう風な話ばっかりでやってます。ただあと、グランドとか選手に接するのは、普段のまま、あまり飾らずに計算せずに地を出してやるようにしてます。
(牛嶋)地を出すっていっても難しいと思うんですよね。ま、今こうやってお話しをしてますけども、非常に温和な感じがするんですが、多分練習中は相当厳しい顔をされて指導しているんだと思うんですが。
(早川)そうですね。ですから練習中も当然厳しい時もあるし、にこやかな時もあるし、一緒に笑ったりする時もありますし。で、また、こう、いろんなことがあって機嫌が悪かったらやっぱり選手も分かるみたいで、グランド入ったりとか、ま、教室ですよね、教室とかで選手にも会うんですけど「あ、監督機嫌悪いな」ってすぐ分かるみたいで。逆に分かりやすい方が、彼らも付き合いやすいと思ってるんで。逆にこっちがこう作ったりするとやっぱりどうしてもひずみがきたり無理がきたりするんで。そうなってくると僕もしんどくなってくるし。ですからもう、そのまんま出していくっていうことを心がけて。で、それでそのまんま出して選手がついてきてくれるんで。ですから色んな選手がついてこれるように、あとは僕自身がもっと努力して人間性を高めていかなきゃいけないっていうことだけだと思います。
(牛嶋)監督は何が一番辛くて、何が一番楽しいんでしょうか?
(早川)そうですね、辛いことはいっぱいあるんですけど。でも一つくらい楽しいことがあれば、辛いことは全部飛んじゃうんで。また飛ばさないといけないと思ってるんで。ですから、基本的にこう、いろんな方が「寮生活とかで大変やねー。」とか「遊ぶ時間ないね。」とかって言われるんですけど、もうそんなもんだと思ってるんで、最初から。ですから、まぁ子供らがちょっといい守備してくれたり、バッティングが良くなってもそれだけで、一日ハッピーで終れますから(笑)。
(牛嶋)そうですか(笑)。
(早川)はい。(笑) 試合に勝ってくれれば言うことはないですからね。はい。
意外にロマンティスト?
(牛嶋)なるほど。えー、それではここで早川監督の思い出の曲を聞かせて頂きたいんですが。
(早川)えー、思い出の曲っていうのは、BOB SCAGSの“We are all alone”っていう曲です。
(牛嶋)非常にロマンティックな曲ですよね。もしかしてロマンティストですか?(笑)
(早川)そうですね、自分ではそう思ってるんですけど。はい(笑)。顔に似合わないって言われるんですけど。
(牛嶋)いえいえ。何をおっしゃいますか(笑)。それにはどんな思い出があるんでしょうか?
(早川)大学時代、非常に厳しい寮生活と監督の下でやってて、あんまりなんて言うんですかねー、あの大学生がやってるような彼女と遊びにいくとか、いろんなとこ遊びに旅行に行ったりっていうようなのが全くなかったもんですから、そういう中で寮生活でのやっぱり憩いっていうのが、その音楽であって。特に僕、洋楽に興味を中学校の頃から覚えてたんで、えー、まあ洋楽好きの同級生から紹介されて。で、すごくメロディラインが美しいんで、好きになって。今でもカラオケとかで歌ったりしてるんですけど。なんか心が和むというかほっとするというか。はい。
(牛嶋)実は、早川監督と私、大学が一緒でして、しかも卒業した年も一緒だったんですよね。なんだあの時出会っていれば…と思ったりもしたんですけれどもね(笑)。
(早川)はい(笑)。
(牛嶋)まあ、でもやはり当時の野球に一生懸命打ち込んだっていうのが、今選手への指導の力に変わっているのかなと思うのですが。
(早川)そうですね、あのー、やはりそこで素晴らしいことを教えてもらったんで、高校大学と。特に大学の監督さんのこととかは、なんか骨の髄まで染み込んでて。ですからそれをそのまんま受け売りじゃないんですけど、僕がしてもらって良かったことを選手にしてるっていうとこだと思います。
♪We are all alone♪
選手は”子供たち”
(牛嶋)ま、今回夏の大会全国準優勝ということで随分取材される立場、非常に機会が多かったと思うんですけども、その時、私ひとつ気になったことがありまして、必ず選手のことを「子供たち」っていう表現で喋るんですね?
(早川)そうですね。あのー、「選手」って言うこともありますけども、あの「子供たち」とか「子供ら」とか。もっと汚い言葉になると「やつら」みたいな感じにもなるんですけども(笑)。
(牛嶋)でも、やはりそれはどうしてなんですか?
(早川)それはもう、あのー、こう自然となるんですけど。あのー、よく「生徒」とか「選手」とかっていう風に、みなさん他の監督さんとか言われるんですけど、あんまり「生徒」とか「選手」っていう風に見てないからかも分からないですね。
(牛嶋)今、寮の方に選手と一緒に暮らしてるんですもんね。
(早川)そうですね、はい。そういうのもありますし、さっき言ったみたいにこう僕も地を出して付き合ってるんで。ですからヘッドロックしてみたりだとか。
(牛嶋)(笑)
(早川)おでこ小突いてみたりとか、そういうことも結構したりしてるんで。ですから自然と「生徒」とか「選手」って言うよりも「子供ら」「子供たち」っていうような言葉になってるんじゃないですかね。
(牛嶋)その部分はやはり、あの、高校時代、お父様が監督でらっしゃったんですもんね。やはり実の父親が野球部の監督だったってのは辛かったですか?
(早川)そうですね、あの、精神的にすごく辛かったですね。ま、同級生は「選手」ですし、で、うちの父親が、僕が3年生になって1年生を3人レギュラーにして同級生が3人レギュラーから外されて。で、ま、当然そういう不平不満じゃないですけども、固まって話している、またそういう風なのを見てたりだとか、でその中に入れないっていうのはやっぱり精神的な辛さっていうなのがすごくあって。高校時代はその精神的な辛さっていうのを非常に感じたんで。だから大学行って、日本で一番か二番ぐらい厳しい寮っていう風に言われてたんですけど、それでもなんか逆に十分耐えれたというか。ですからやっぱり精神的に辛いっていうことが一番キツイことだな、肉体的なものの比じゃないなっていうのは、なんか経験で、経験というかあって。で常に父親が監督っていう風なのでいろんなことを意識したりだとか、周りを気にしたりだとかそういうのがあったんで。大学行けばそういうがなくなったんで。ですから精神的にはすごい楽だったですね。
(牛嶋)そういった経験もして、それで今は監督としての立場から野球を見つめているという風な、なんか非常に楽しそうだなぁと思ったりもするんですけど。 (早川)そうですね、ほんとに楽しいですね。あの、子供らの成長っていうのは高校生すごい早いんで。で、またこっちがこう汗流して出した分、返ってくるものもすごいはっきり返ってくるんで。そういう意味ではほんとにやりがいのある素晴らしい仕事だと思ってます。
(牛嶋)また今年の子供たちが卒業して何年か経って「監督!遊びにきました!」っていう姿を想像したりはしませんか?
(早川)そうですね、毎年なんですけど、やはりこの仕事やってて一番は卒業生が帰ってきて、その卒業生と一緒に酒を飲むのが僕の一番の楽しみなんで。ですから勝った負けたっていうのはその時でコロコロ変わってしまいますから。じゃなくてそういう僕の分身じゃないですけど、そういう子が帰ってきてくれたら一緒にお酒を飲むっていうのが、一番、僕にとっては一番楽しい時間ですね。
(牛嶋)そういう意味では今後の選手の活躍というか頑張りっていうのは、非常に楽しみですね。
(早川)そうですね。ほんとに楽しみにしてますし、期待してます。
(牛嶋)今後のご活躍をお祈りしております。どうもありがとうございました。
(早川)ありがとうございました。