ゲストは自らの不登校体験を綴った本「あかね色の空を見たよ」の著者である堂野博之さん。堂野さんは昭和45年の生まれの29歳(放送当時)。兵庫県尼崎市の御出身で、小学校4年生の時にお父様の仕事の都合で柵原町へ。そこで環境の変化に戸惑い、転校生として冷やかしの対象になり、病気で数日休んだのを切っ掛けに中学校卒業するまで不登校に。そんな体験を綴った本が「あかね色の空を見たよ」で、現在は工務技術員として西大寺高校に勤務。そして、この度「あかね色の空を見たよ」が映画化が決定(当時)。その辺りのお話しも含めてお楽しみ下さい。
忘れたくない気持ちを残したかった
(牛嶋)それでは、今週のゲストを御紹介しましょう。「あかね色の空を見たよ」の著者でいらっしゃいます、堂野博之さんです。よろしくお願いします。
(堂野)どうぞよろしくお願いします。
(牛嶋)「茜色の空を見たよ」今手元にあるんですけれども、読ませて頂きました。不登校の体験をずっと綴っているんですけどね。綴ると同時に絵も書かれているんですね。
(堂野)ええ、そうですね。
(牛嶋)絵の上に短く詩のような言葉が描かれていて、随分印象的なものがありますね。例えばこれなんか「学校行けなくて苦しい 学校行きたくなくて苦しい 学校行って苦しい 学校に来た私を見て よかったよかった 先生何がよかったの? 父さん何がよかったの? 母さん何がよかったの?」。後は「明日は行こうと思う夜 明日にしようと思う朝」。本のほとんどこれが書かれてますよね。
(堂野)そうですね。40数編そういうものを書かせてもらってますけど。
(牛嶋)それと同時に不登校の体験という事で、子供の頃のいわゆる不登校が始まったいきさつから、結果的に不登校がなおったと言うか、定時制の高校に進まれて、それでいろんな体験をされて、そして現在の職業に就かれている迄、ということで書かれてるんですよね。
(堂野)そうですね。
(牛嶋)一冊の本なんですけども、簡単に読めちゃう本ですね。
(堂野)ええもう、一生懸命読めば1時間かからないと思いますね。
(牛嶋)でもこれは、書きはじめたきっかけっていうのはどういうところなんでしょうか?
(堂野)これはですね、元々別に本にするつもり等全く無くてですね、自分が苦しんでいた当時の気持ちを何か形に残したいというか、残しておかないと大人になるにつれてどんどん忘れていってしまうんでね。自分にとってみたら、忘れたくない気持ちというか、大切にしたい気持ちということで書き残していったのが出版する切っ掛けになったんですけど。
(牛嶋)でもさぞかし辛かったんだろうなあっていうような部分がありますね。辛かったと思いきや、だんだん堂野さん御自身が成長していって、いろんな人と出会う事によって、人の気持ちもわかれば自分の気持ちも人に分かってもらってというような部分で。
(堂野)ええ、そうですね。
今から振り返ると笑い話?
(牛嶋)この「あかね色の空を見たよ」っていうタイトルはどうしてつけられたんですか?
(堂野)これはね、あかね色を夕焼けにイメージをおいてるんですけどもね。苦しい時っていうのは空一面に雲がおおわれていて、もう光も何も見えない状態。でもいつかそれを乗り越えて、雲の切れ目から光がさすようになればね、苦しめていたその雲までも美しいあかね色に染まっているっていうことで。そうやって乗り越えていけばね、大切な時間だったと思えるようになって欲しいという。そういう意味を込めて「あかね色の空を見たよ」ということなんですけど。
(牛嶋)でも、これを読んでさぞかし辛い生活を送られていたんだなと思ったんですけど、今思い起こすと如何ですか?
(堂野)今から振り返ればもう、笑い話になっているんですけどもね。まあ確かにその当時は、私も含めて両親家族全員がこの事で随分と苦しい思いをしたと思いますね。
(牛嶋)小学校の4年生からですか、中学校卒業するまで不登校が続いたと。
(堂野)そうですね、はい。
(牛嶋)やはりその、辛い部分っていうのは今おっしゃって頂くとどういう事なんでしょうか?
(堂野)単純に学校に行けない事が辛いというよりもですね、そこで自信を無くしている自分や絶望感やいろんな葛藤、そういう苦しみを子供がたった一人で抱えてるわけですけどもね。その気持ちを誰にも理解されなかったっていうのが、私の中で一番悔しかったというか、印象に残ってますね。
(牛嶋)そして、その作品がなんと映画化される事になったんですよね。撮影の方も快調に進んで…。
(堂野)2000年3月12日に試写会が行われまして、それ以降県内数10ケ所で今の所予定が決まってますけども。
(牛嶋)特にこんな点に注目して頂きたいっていうのがありましたら・・・。
(堂野)そうですね、映画の内容もそうなると思うんですけども、人が苦しい時に周りは何とか助けてあげたいという事でいろいろ答えを探してみたり、アドバイスをしたりしてくれると思うんですけどもね。苦しい時一番求めているのはそういうものではなくて、支えてくれている実感だったりね、人の温もりであったり、そういうものさえきっちりとこう実感出来て生きていれば自分で何とか乗り越えていけるんじゃないかと。そういう温もりをね、感じてもらえる作品になってもらえればいいなと思ってるんですけど。
思い出の曲は、やっぱり・・・
(牛嶋)それでは堂野さんの思い出の曲をここでお出し頂きたいんですが。
(堂野)はい。尾崎豊さんで「卒業」です。
(牛嶋)尾崎豊さんの「卒業」。もう非常に有名な曲なんですけれども。
(堂野)これはですね、不登校が終わってですね、終わってというか一応中学校卒業しまして、定時制(高校)に入ってから私が知って聴き出した曲なんですけども。そこにはいろんな苦しみを持ってやって来ている仲間達がたくさんいましてね、その尾崎さんの(「卒業」の)歌詞が何か私達の心と全てこう当てはまってですね、ずっと定時制行ってる間聞かしてもらってた曲なんです。今、29歳になって聴いてみましてもね、やっぱりあの当時の気持ちが鮮明に蘇ってきますし、本当に尊敬出来る人でしたね。尾崎さんが亡くなったという知らせを聞いた日に、黒の喪章というまでもいかないんですけども、腕に一日付けて過ごしたのを覚えてますけど。
♪〜「卒業」〜♪
これからもいろんな苦しみにぶつかっていきたい
(牛嶋)この本を読ませて頂いて、結果的にこの不登校だった自分の体験っていうのは良かったことだっていう風に書かれていますよね。
(堂野)そうですね。まあ別に本が出たからいいっていうことではないんですけども。私の性格は今もあの頃もなにも特に変わってはいなんですね。ただあの頃は自信が持てなくて苦しんでいた。今はそれに自信が持てるようになっただけという事で。そういう自分をこういう人間だと見つけられたっていう点ではね、本当にあの時期が凄く良かったなと振り返れますけどね。
(牛嶋)長い期間でしたからね。それを良かったと今言えるっていう堂野さんも凄いと思うんですよ。
(堂野)そうですかね。でも、定時制で出会った人達も物凄い苦しみを背負ってきた人達がたくさんいますからね。そういう人もやっぱりこれから先、生きていかなくちゃいけないわけで、それをうまく自分に活かしてね、やっていってる方々がたくさんおられますのでね、本当に無駄なものは何もないと思いますけどね。
(牛嶋)でもまあ、今回この本を出されたという事もありますけれども、随分多くの事を学ばれたと思うんですけれども・・・。
(堂野)そうですね、本当に本が出てからもそうですし、不登校していた時もそうだったんですけども。結局私が傷付いていった過程も人に対してそういうものがあったり自信を無くしてしまったり、立ち上がっていった過程の中にもやっぱり人に救われていった支えられていったっていう過程がありますから、やはり人間のなんかそういう素晴らしいところを常にこう求めていたんだなと。それからそういう人の温もりとかね、言ってしまえば愛っていうようなものからどれだけ人に生きる力を与えるかっていう事を、そういう事を本当に学ばしてもらったなと思いますね。
(牛嶋)今お勤めになっているこの学校の一緒に仕事をされている方々もそうだと思うんですが、後はあれですよね、お嬢様が産まれて、茜ちゃんっていうんですよね。
(堂野)まあ、本のタイトルから茜という名前をね、出てきたんですけども。やっぱり何もない楽な人生なんてないわけでね、いろんな事へぶつかっていくと思うんですけど、一歩一歩それを乗り越えて行って、振り返ってみたら黒い雨雲もあかね色に染まると、そういう風に振り返れるそういう人生を子供にも送ってもらいたいなっていう事でね、茜と付けたんですけどね。
(牛嶋)そう意味じゃ、不登校を綴った本ですけれども、良いメッセージになりますよね。
(堂野)そうですね。結果としてそうなれば、私も本当に素晴らしい経験をさせてもらいましたね本当に。
(牛嶋)でもあの、いつもこうやっていろんな方にお会いしてお話し伺ってるんですけど、堂野さんいい顔されてますよね。
(堂野)そうですか(笑)定時制のね、入学式の生徒手帳に貼る写真を撮ったものが今も残ってるんですけれども、とんでもなくひどい顔してるんですよね(笑)
(牛嶋)あはは、そうですか(笑)
(堂野)まああれから十何年の間にいろんな人に支えられて、まあ…そういう事ですね。やっぱりこれからも、これで終わりではなくていろんな苦しみにぶつかって行きたいですね。で、そのまんまじゃ悔しいからそっから必ず何かいろんな事を学んで、一歩一歩歩んで行きたいですね。
(牛嶋)その、不登校を綴った本、こちら「あかね色の空を見たよ」、間もなく映画になるというという事で、本当に楽しみで。もちろん本も是非読んで頂きたいんですけども、映画の方も是非見て頂きたいですよね。
(堂野)そうですね、はい。多くの人に見てもらいたいと思います。
(牛嶋)今日はお忙しいところ有難うございました。
(堂野)はい、どうも有難うございました。